2009年03月
2009年03月31日
2009年03月30日
2009年03月29日
2009年03月28日
2009年03月27日
「椿山課長の7日間」
浅田次郎 2002年 378ページ
宴会中に心臓麻痺で急死したデパート営業課長。
他人と間違われてピストルで撃たれたやくざ親分。
交通事故で何もわからないまま死んだ聡明な少年。
この3人が天国行きか地獄行きかをきめる”中陰役所”で
審査を受けるがそろってシャバでやり残したことがある、
という理由を認められ生き返る。ただし他人の身体であり
|羆△悗竜国時間を守る復讐の禁止正体の秘匿
という条件が課せられる(”ロボット3原則”みたい!)。
3人はシャバで微妙に絡み合いながら話が進むのだが
死者と生者の人情を表すその”浅田節”がすばらしい。
この小説を読むと死ぬことがそんなに怖いことではなく
かえって待ち遠しいような気になったのは不思議だ。
死について考える人に一読を勧める=特に”中陰役所”の
講習会で”反省ボタン”を押せば全員が極楽に行けること、
極楽では一番会いたい人(死者を一番思っていてくれた人)が
生前の姿で出迎えに来てくれること、これはいい!
宴会中に心臓麻痺で急死したデパート営業課長。
他人と間違われてピストルで撃たれたやくざ親分。
交通事故で何もわからないまま死んだ聡明な少年。
この3人が天国行きか地獄行きかをきめる”中陰役所”で
審査を受けるがそろってシャバでやり残したことがある、
という理由を認められ生き返る。ただし他人の身体であり
|羆△悗竜国時間を守る復讐の禁止正体の秘匿
という条件が課せられる(”ロボット3原則”みたい!)。
3人はシャバで微妙に絡み合いながら話が進むのだが
死者と生者の人情を表すその”浅田節”がすばらしい。
この小説を読むと死ぬことがそんなに怖いことではなく
かえって待ち遠しいような気になったのは不思議だ。
死について考える人に一読を勧める=特に”中陰役所”の
講習会で”反省ボタン”を押せば全員が極楽に行けること、
極楽では一番会いたい人(死者を一番思っていてくれた人)が
生前の姿で出迎えに来てくれること、これはいい!
2009年03月25日
台湾の博物館 見学記
2つ目の博物館として「国立歴史博物館」へ行った。
ここは故宮博物院と違って台北市内の中心部”南海学園”と
呼ばれる文教地区にあり、台湾芸術教育館や植物園の蓮池に
隣接する(ただしやはり車寄せや受付スペースが狭い)。
この日は前日の団体ツアーではなかったので安心して
見学できた。博物館では特別展として”絲綢之路(シルクロード)
新疆文物大展”をやっていたのでまずそれから見た。
案内パンフレットによるとおよそ150点の文物が
出品されている、ということだったがどのように発掘または
他の博物館から渡来したのか、については説明がない=
大陸からの疎開時に持ち込まれたのか=整理されてないまま。
内容はまず”衣類”が多かった。当然毛のフェルト系が
多いと思ったのだが絹布に彩画してあるものも目だった。
あのような砂漠地帯でどのような生産・交易があったのか。
また「唐 彩画駝夫木俑」(ラクダ乗りの木の人形)は
目が真っ青に塗られていて色が白くまさに西洋人。こんなに
西洋系はっきりに描かれた画・像ははじめてみたように思う。
さて青銅器である。最上階の展示室に行ってみるとこれまでの
色々な青銅器展示室とは感じが異なる。それは型式(様式)が揃い
重厚であまり磨きこまれていないものが大半だったからだ。おや、と
思ってよく見るとそほとんどが”陳家”遺跡からの出土を
そのままならべたもので時代性、様式性が一致するからであった。
台湾の博物館では写真撮影が許されていないし(大陸ではOK)
青銅器写真集もなかったようなので資料がなく、いまはっきりと
指摘できないがちゃんとした資料集がないものかも知れない。
いずれにしても珍しい青銅器だった。今後はこの博物館も
要チェック。
ここでは回廊で「朝鮮青磁展」をやっていたがこれも見ごたえあった。
ここは故宮博物院と違って台北市内の中心部”南海学園”と
呼ばれる文教地区にあり、台湾芸術教育館や植物園の蓮池に
隣接する(ただしやはり車寄せや受付スペースが狭い)。
この日は前日の団体ツアーではなかったので安心して
見学できた。博物館では特別展として”絲綢之路(シルクロード)
新疆文物大展”をやっていたのでまずそれから見た。
案内パンフレットによるとおよそ150点の文物が
出品されている、ということだったがどのように発掘または
他の博物館から渡来したのか、については説明がない=
大陸からの疎開時に持ち込まれたのか=整理されてないまま。
内容はまず”衣類”が多かった。当然毛のフェルト系が
多いと思ったのだが絹布に彩画してあるものも目だった。
あのような砂漠地帯でどのような生産・交易があったのか。
また「唐 彩画駝夫木俑」(ラクダ乗りの木の人形)は
目が真っ青に塗られていて色が白くまさに西洋人。こんなに
西洋系はっきりに描かれた画・像ははじめてみたように思う。
さて青銅器である。最上階の展示室に行ってみるとこれまでの
色々な青銅器展示室とは感じが異なる。それは型式(様式)が揃い
重厚であまり磨きこまれていないものが大半だったからだ。おや、と
思ってよく見るとそほとんどが”陳家”遺跡からの出土を
そのままならべたもので時代性、様式性が一致するからであった。
台湾の博物館では写真撮影が許されていないし(大陸ではOK)
青銅器写真集もなかったようなので資料がなく、いまはっきりと
指摘できないがちゃんとした資料集がないものかも知れない。
いずれにしても珍しい青銅器だった。今後はこの博物館も
要チェック。
ここでは回廊で「朝鮮青磁展」をやっていたがこれも見ごたえあった。
2009年03月24日
WBC 日本優勝!
この大会、韓国と5度目の対戦。まったく
どうなってるんだろうね=大会運営規定が。
せっかくアメリカまで行ってるんだから
アメリカと決勝戦をやりたかったのにまた
韓国か。うんざりした。でも勝ってよかった。
MVPは松阪だったけど最後最後にクリーンヒットを打って
勝ち越したイチローはやっぱり天才大スターだな。
それにしても韓国(新聞)はスポーツで勝てば相手を
ばかにするし、負ければ相手が”不正”をした、と難癖つける。
どうしようもないな=韓国が日本に勝って国旗をマウンドに
差し立てたおばか行為、前週のTVで張本氏がなんにもコメント
しないのはやっぱりなとして(この話題にいかないようしゃべりまくった)
大沢”親分”氏が”お粗末”カードを明示しなかったのは納得できない=
”親分”の名前がすたるぜ=そしてこれをカバーできなかった
関口司会者のお粗末さ=TVの親会社が”べったり”だからか。
どうなってるんだろうね=大会運営規定が。
せっかくアメリカまで行ってるんだから
アメリカと決勝戦をやりたかったのにまた
韓国か。うんざりした。でも勝ってよかった。
MVPは松阪だったけど最後最後にクリーンヒットを打って
勝ち越したイチローはやっぱり天才大スターだな。
それにしても韓国(新聞)はスポーツで勝てば相手を
ばかにするし、負ければ相手が”不正”をした、と難癖つける。
どうしようもないな=韓国が日本に勝って国旗をマウンドに
差し立てたおばか行為、前週のTVで張本氏がなんにもコメント
しないのはやっぱりなとして(この話題にいかないようしゃべりまくった)
大沢”親分”氏が”お粗末”カードを明示しなかったのは納得できない=
”親分”の名前がすたるぜ=そしてこれをカバーできなかった
関口司会者のお粗末さ=TVの親会社が”べったり”だからか。
2009年03月23日
2009年03月22日
「全形拓本」卒業式
”全形拓本”とはこれまでしばしば述べてきたが
例えば彫刻などの立体(3次元)を拓本(2次元)に
写し取る技術=写真のようなものか=。小生会社定年の
7年前に京都へ白川博士の文字講座を聞きに言ったところ
同席したのが”文字文化研究所”の専務理事で全形拓本
講習会の提唱者U氏だった。
そこで青銅器を勉強している、といったら、じつは
来年から青銅器の”全形拓本”講習会を京都でやるよ、
とい話になり、すぐその場で紹介されたのが講師の
Y先生だった。小生即入会申し込みした。まだ入会案内が
できないまえの申し込みで生徒第1号になったわけ。
入会当時20人を越えていた会員は新しい人を加えて
15人ほど。7年前からの第1期生は小生含め4人だ。
その後、年5回計35回の講習会に欠席は1回のみ。去年
6年満期で卒業しようと思ったんだけど1年留年した。
技術はまったくだめだが理論はだいぶ分かってきた。
今後は自己研鑽で以降と決心する。
それにしても”京のたぬきそば”が食えないのは
残念だなー。
(助教O夫人I夫人ありがとうございました!)
例えば彫刻などの立体(3次元)を拓本(2次元)に
写し取る技術=写真のようなものか=。小生会社定年の
7年前に京都へ白川博士の文字講座を聞きに言ったところ
同席したのが”文字文化研究所”の専務理事で全形拓本
講習会の提唱者U氏だった。
そこで青銅器を勉強している、といったら、じつは
来年から青銅器の”全形拓本”講習会を京都でやるよ、
とい話になり、すぐその場で紹介されたのが講師の
Y先生だった。小生即入会申し込みした。まだ入会案内が
できないまえの申し込みで生徒第1号になったわけ。
入会当時20人を越えていた会員は新しい人を加えて
15人ほど。7年前からの第1期生は小生含め4人だ。
その後、年5回計35回の講習会に欠席は1回のみ。去年
6年満期で卒業しようと思ったんだけど1年留年した。
技術はまったくだめだが理論はだいぶ分かってきた。
今後は自己研鑽で以降と決心する。
それにしても”京のたぬきそば”が食えないのは
残念だなー。
(助教O夫人I夫人ありがとうございました!)
2009年03月21日
父母の生前戒名
昨日菩提寺へ行き住職に父母の生前戒名について
相談した。父92歳、母88歳。母はだいぶ
ぼけてきたが父は頭まはっきりしていて”学”の
ある人なので自分の戒名を決めておくよう
半年ほど前に勧めておいた。
そしたら先日父母両方の戒名を書付にしてきたので
お彼岸の昨日、寺へ行ったわけだ。
和尚さんは事情理解してくれ”検討しましょう”という
ことで書付を預けてきた。
本日京都行き。拓本研究会なり。
午後早めに到着して拓本仲間のO氏宅へ行く。
はやくももう一人の仲間と”鬼瓦”の採拓を
していたがこれから京都中心部のお寺に”梵鐘”の
銘文採拓を頼まれている、ということで早速向かう。
御所の隣にある由緒ある寺”清浄華院”(公卿さんのお墓が多い=
”従三位藤原朝臣何某”といった)で鐘楼を新築中で
この間に銘文を採拓してほしい、ということ。
銘文では慶長15年に堺の鋳物師が作った、ということは
はっきり読み取れたが面白いのはそのほかの文章だ。
鐘をすっかり取り囲んで大きさ1センチに満たない漢字が
”草書体”でぎっしり掘り込まれている。だいぶ磨耗して
読むのはかなり困難だがどうやら経文ではなく、そうかといって
”漢詩文”でもないようだ=なにしろ草書体で数千文字。
これは珍しい。後日許可を得て詳しく調べることで一致。
終わって全形拓本のY先生を呼び出し、三条の居酒屋にて
懇親会。終わって観峰会館に泊まる。7年間通った最後なり。
相談した。父92歳、母88歳。母はだいぶ
ぼけてきたが父は頭まはっきりしていて”学”の
ある人なので自分の戒名を決めておくよう
半年ほど前に勧めておいた。
そしたら先日父母両方の戒名を書付にしてきたので
お彼岸の昨日、寺へ行ったわけだ。
和尚さんは事情理解してくれ”検討しましょう”という
ことで書付を預けてきた。
本日京都行き。拓本研究会なり。
午後早めに到着して拓本仲間のO氏宅へ行く。
はやくももう一人の仲間と”鬼瓦”の採拓を
していたがこれから京都中心部のお寺に”梵鐘”の
銘文採拓を頼まれている、ということで早速向かう。
御所の隣にある由緒ある寺”清浄華院”(公卿さんのお墓が多い=
”従三位藤原朝臣何某”といった)で鐘楼を新築中で
この間に銘文を採拓してほしい、ということ。
銘文では慶長15年に堺の鋳物師が作った、ということは
はっきり読み取れたが面白いのはそのほかの文章だ。
鐘をすっかり取り囲んで大きさ1センチに満たない漢字が
”草書体”でぎっしり掘り込まれている。だいぶ磨耗して
読むのはかなり困難だがどうやら経文ではなく、そうかといって
”漢詩文”でもないようだ=なにしろ草書体で数千文字。
これは珍しい。後日許可を得て詳しく調べることで一致。
終わって全形拓本のY先生を呼び出し、三条の居酒屋にて
懇親会。終わって観峰会館に泊まる。7年間通った最後なり。
2009年03月20日
台湾の博物館 見学記
さていよいよお目当ての青銅器展示室である。
最上階3階のウイングを占め、多分100点を
越える展示ではないか。小生”毛公鼎”(もうこう・てい)を
まず見たかったが展示品パンフレットの青銅器第1に
掲げられているにもかかわらずその姿を発見できなかった。
しかし西周晩期(2500年ほど昔)を代表する典型的な
どっしりした鼎が10個近く展示してあり堪能した。
そしてもうひとつ見たかったのは”散氏盤”(さんし・ばん)
という青銅器だがこれはあった。想像していたよりずっと
大きく重厚な形である。毛公鼎・散氏盤いずれも
中国古代青銅器のなかで最長ともされる数百文字を
刻まれているの有名な宝器だ。当時の王朝社会や
契約のあり方を知り漢字成り立ちや書法を知ることができる。
”亜醜方觚”(あしゅう・ほうこ)=造りが重厚で主要な
文様に”くちなし”の花が使われていた。全体に”中原系”
ではなく”長江系”の感じを受けた。発掘されたのは
どこだったろうか。
”祖乙尊”(そいつ・そん)=10年以上前、NHKTVで
” ”を放映したがその番組広報に使われたのが
この尊”=飾り壷”=と思う=ただし、その当時NHKは
中国(大陸)展示を使わずに台湾所有物を使う勇気が
あったのだろうか。形は想像していたより小さいが
全体漆黒の色とバランスの好い飾りが好ましい。
”頌壷”(しょう・こ)=堂々たる存在感。文字刻銘。
”周鐘”(しゅう・しょう)=中国古代の音楽に対する意識と
文字に対する意識がうかがえた。
”乳丁紋羊首ライ”(にゅうていもん・ようしゅ・らい)
迫力と美意識がこれほどとは思わなかった。すごい。
最上階3階のウイングを占め、多分100点を
越える展示ではないか。小生”毛公鼎”(もうこう・てい)を
まず見たかったが展示品パンフレットの青銅器第1に
掲げられているにもかかわらずその姿を発見できなかった。
しかし西周晩期(2500年ほど昔)を代表する典型的な
どっしりした鼎が10個近く展示してあり堪能した。
そしてもうひとつ見たかったのは”散氏盤”(さんし・ばん)
という青銅器だがこれはあった。想像していたよりずっと
大きく重厚な形である。毛公鼎・散氏盤いずれも
中国古代青銅器のなかで最長ともされる数百文字を
刻まれているの有名な宝器だ。当時の王朝社会や
契約のあり方を知り漢字成り立ちや書法を知ることができる。
”亜醜方觚”(あしゅう・ほうこ)=造りが重厚で主要な
文様に”くちなし”の花が使われていた。全体に”中原系”
ではなく”長江系”の感じを受けた。発掘されたのは
どこだったろうか。
”祖乙尊”(そいつ・そん)=10年以上前、NHKTVで
” ”を放映したがその番組広報に使われたのが
この尊”=飾り壷”=と思う=ただし、その当時NHKは
中国(大陸)展示を使わずに台湾所有物を使う勇気が
あったのだろうか。形は想像していたより小さいが
全体漆黒の色とバランスの好い飾りが好ましい。
”頌壷”(しょう・こ)=堂々たる存在感。文字刻銘。
”周鐘”(しゅう・しょう)=中国古代の音楽に対する意識と
文字に対する意識がうかがえた。
”乳丁紋羊首ライ”(にゅうていもん・ようしゅ・らい)
迫力と美意識がこれほどとは思わなかった。すごい。
2009年03月19日
台湾の博物館 見学記
”翡翠白菜”とは翡翠を白菜の形に彫り込んだもの。
白菜の胴の白身と葉っぱ先端の青みがみごとに天然の
翡翠の色だけで表現されてそれは細工として見事だが
これだけを”秘宝”としてとりあげるのはどうか、と思う。
写真ではしょっちゅう見ているので、あ、これか、と
思った程度。ただし大きさが30センチほどなのには
小さくてびっくりした。(ガイドにお断りを言って
単独行動に移る)
青銅器を見る前に立ち寄った別室で気にかかった展示品。
<1>”玄鳥”と題した玉の細工。小生所有の新石器時代の
玉の置物にたいへん似ている。ただし本品は羽を広げた
大きさ40センチほどもあり、小生の数センチとは比べものに
ならない。
<2>”通天石”と題したラピスラズリの原石。原石を初めて
見たがこれは大きさ40センチほど。黒茶色の地の石の中に
あの神秘的なラピスが小指の爪ほどの大きさで輝いている。
これは美しい!ラピスが直接(カットしないで)古代人の
心を捉えた宝石であることが実感できた。
<3>”石墨鏡”=この名前であったかどうか、いま自信がない。
直径30センチほどの円形の”鏡”である(もちろん背面を
見せている)。色は漆黒のようであるが細かい白色の砂が
交じっている感じである。見た目材質が硬いのか比較的
柔らかいのかどっちにもとれる質感だ。このような美しい
”石”は初めて見た。
白菜の胴の白身と葉っぱ先端の青みがみごとに天然の
翡翠の色だけで表現されてそれは細工として見事だが
これだけを”秘宝”としてとりあげるのはどうか、と思う。
写真ではしょっちゅう見ているので、あ、これか、と
思った程度。ただし大きさが30センチほどなのには
小さくてびっくりした。(ガイドにお断りを言って
単独行動に移る)
青銅器を見る前に立ち寄った別室で気にかかった展示品。
<1>”玄鳥”と題した玉の細工。小生所有の新石器時代の
玉の置物にたいへん似ている。ただし本品は羽を広げた
大きさ40センチほどもあり、小生の数センチとは比べものに
ならない。
<2>”通天石”と題したラピスラズリの原石。原石を初めて
見たがこれは大きさ40センチほど。黒茶色の地の石の中に
あの神秘的なラピスが小指の爪ほどの大きさで輝いている。
これは美しい!ラピスが直接(カットしないで)古代人の
心を捉えた宝石であることが実感できた。
<3>”石墨鏡”=この名前であったかどうか、いま自信がない。
直径30センチほどの円形の”鏡”である(もちろん背面を
見せている)。色は漆黒のようであるが細かい白色の砂が
交じっている感じである。見た目材質が硬いのか比較的
柔らかいのかどっちにもとれる質感だ。このような美しい
”石”は初めて見た。
2009年03月18日
台湾の博物館 見学記
(アトリエ246”館長コラム”原稿)
2009年3月、初めて台湾へ行った。最大の目的は
国立故宮博物院(の青銅器)を見ること。小生自家に
「故宮博物院・精選」という12巻の大部写真集を
所蔵しているがさすがにすばらしいものばかりであり
ぜひ現物を見てみたかった。
3泊4日の滞在で2日目がガイドつきの市内観光コースに
博物院見学が90分の予定で組まれている。
博物院は中心部のホテルから車で約30分だが乗り合いガイドで
他の二つのホテルに立ち寄ったため凡そ1時間かかった(
博物院のある士林(シリン)地区は郊外ながら台北最大の
”夜市”が毎晩平かれることで有名)。
博物院は2年ほど前に全面改装が終わってかなり広くなった
らしいが到着してみると入り口は予想通りの大混雑だ。
その原因のひとつは建物の前に”広場”がないこと、従って
見学バスは博物院の流れに沿って1台づつ入り口に進み
降りるのだ。また内部の受付部分も狭い。見学者であふれ
かえっている。この狭さは設計ミスではないか=翌日
「国立歴史博物館」を見に行ったがこのアクセスと入り口の
狭さは同じだった=なにか理由があるのかな?
この大混雑の中でガイドは「翡翠の”白菜”」がすばらしい
宝なのでぜひ見るよう勧めてずんずん歩く。
2009年3月、初めて台湾へ行った。最大の目的は
国立故宮博物院(の青銅器)を見ること。小生自家に
「故宮博物院・精選」という12巻の大部写真集を
所蔵しているがさすがにすばらしいものばかりであり
ぜひ現物を見てみたかった。
3泊4日の滞在で2日目がガイドつきの市内観光コースに
博物院見学が90分の予定で組まれている。
博物院は中心部のホテルから車で約30分だが乗り合いガイドで
他の二つのホテルに立ち寄ったため凡そ1時間かかった(
博物院のある士林(シリン)地区は郊外ながら台北最大の
”夜市”が毎晩平かれることで有名)。
博物院は2年ほど前に全面改装が終わってかなり広くなった
らしいが到着してみると入り口は予想通りの大混雑だ。
その原因のひとつは建物の前に”広場”がないこと、従って
見学バスは博物院の流れに沿って1台づつ入り口に進み
降りるのだ。また内部の受付部分も狭い。見学者であふれ
かえっている。この狭さは設計ミスではないか=翌日
「国立歴史博物館」を見に行ったがこのアクセスと入り口の
狭さは同じだった=なにか理由があるのかな?
この大混雑の中でガイドは「翡翠の”白菜”」がすばらしい
宝なのでぜひ見るよう勧めてずんずん歩く。
2009年03月17日
2009年03月16日
2009年03月15日
4ばかおじじの台湾旅行 その2
◆姫譴じじ”
このおじじ、タバコ好きとはかねて知りしかど
かように”タバコ強迫観念”の持ち主とは!
台湾到着までの空港・機中はそれなりにがまんして
いたらしいが台北到着後はそれこそがまんが尽きた、
とばかり吸うこと・吸うこと。ホテルももちろん
禁煙だが”酒”おじじと偶然一番端の同室で(ホテル内
禁止もものかは)部屋の窓を開け放って吸うこと・吸うこと。
2日目バスツアーには参加したんだけどバス中禁煙が
相当答えたらしく3日め自由行動はひとりパス。
ホテル部屋で(もちろん禁煙で見つかったらまずいよ!)
半日タバコを吸っている自由日程を選んだのだった。
だみだ こりゃ!
”道おじじ”
このおじじ、小柄で足は速いんだけど方角がいつも
違ってるよ! 右へ行く、といえば左へ行くし
まっすぐ前、といえばまっすぐ後ろへ戻る。だから
目的地到着はいつも最後。
3日目(最終日)の夜、二次会のつもりでホテルの
すし屋(”なにわ”といってかなりハイレベル=親方・料理が)へ
”酒おじじ”と行ったらしいがホテル内で帰り道がわからなくなり
うろうろしているところをすし屋の若い衆に助けらて
部屋へ連れ戻された(小生と同室。ただし小生そのときは
自室に戻っていたもんね!)。戻ってよかったが、こりゃ
だみだ、だみだ!
”オレおじじ”
と、一番若くて幹事の小生、まず1日目、目指すは
有名な台湾”夜市”ということで一行を伴って出撃した。
うまそうな屋台店はあちこちにあるものの”酒がない。
どうやら持込らしいということで酒屋を探したが
1時間歩いても見当たらず、頭にきてそこらの居酒屋へ
飛び込んだがそこにはビールしかなかった!台湾には
酒屋・焼酎がないんか!=ないことが分かった。
”中国”には詳しいと自負していた小生が、うーむ。
台湾は中国(大陸)でないことを実感した。
帰りのフライト。トイレで水洗ボタンを押したつもりがそれが
”緊急”ボタンでスチュワーデスさんが飛んできて
ドアをがんがんたたいた。「いやいや間違いでした」と
いって外へ出たら並んでいた女性が2人くすっと笑った。
海外旅行30回でこんなことは初めてだぞ!
みんなばかおじじが悪い!
このおじじ、タバコ好きとはかねて知りしかど
かように”タバコ強迫観念”の持ち主とは!
台湾到着までの空港・機中はそれなりにがまんして
いたらしいが台北到着後はそれこそがまんが尽きた、
とばかり吸うこと・吸うこと。ホテルももちろん
禁煙だが”酒”おじじと偶然一番端の同室で(ホテル内
禁止もものかは)部屋の窓を開け放って吸うこと・吸うこと。
2日目バスツアーには参加したんだけどバス中禁煙が
相当答えたらしく3日め自由行動はひとりパス。
ホテル部屋で(もちろん禁煙で見つかったらまずいよ!)
半日タバコを吸っている自由日程を選んだのだった。
だみだ こりゃ!
”道おじじ”
このおじじ、小柄で足は速いんだけど方角がいつも
違ってるよ! 右へ行く、といえば左へ行くし
まっすぐ前、といえばまっすぐ後ろへ戻る。だから
目的地到着はいつも最後。
3日目(最終日)の夜、二次会のつもりでホテルの
すし屋(”なにわ”といってかなりハイレベル=親方・料理が)へ
”酒おじじ”と行ったらしいがホテル内で帰り道がわからなくなり
うろうろしているところをすし屋の若い衆に助けらて
部屋へ連れ戻された(小生と同室。ただし小生そのときは
自室に戻っていたもんね!)。戻ってよかったが、こりゃ
だみだ、だみだ!
”オレおじじ”
と、一番若くて幹事の小生、まず1日目、目指すは
有名な台湾”夜市”ということで一行を伴って出撃した。
うまそうな屋台店はあちこちにあるものの”酒がない。
どうやら持込らしいということで酒屋を探したが
1時間歩いても見当たらず、頭にきてそこらの居酒屋へ
飛び込んだがそこにはビールしかなかった!台湾には
酒屋・焼酎がないんか!=ないことが分かった。
”中国”には詳しいと自負していた小生が、うーむ。
台湾は中国(大陸)でないことを実感した。
帰りのフライト。トイレで水洗ボタンを押したつもりがそれが
”緊急”ボタンでスチュワーデスさんが飛んできて
ドアをがんがんたたいた。「いやいや間違いでした」と
いって外へ出たら並んでいた女性が2人くすっと笑った。
海外旅行30回でこんなことは初めてだぞ!
みんなばかおじじが悪い!
2009年03月14日
4ばかおじじの台湾旅行
ついに決行し昨夜全員無事帰宅した。
9日(月)成田ビューホテル前泊
10日(火)9時20分ANA機成田発
午後台湾到着 現地ガイドが両替店案内
各人1万円を交換 交換率は1万円=3400元
11日(水)朝からオプションのバスツアー
台北市内(故宮博物館、忠烈祠、九分(人偏)市内
昼食(鼎泰豊で小龍包)と夕食(梅子餐庁で中華コース)
つき いずれも有名レストラン
12日(木)自由日にて昼間国立歴史博物館
夜”川鍋”にて火鍋
13日(金)午前中ガイドと土産店
13時25分(現地時間発)2時間半で成田着
バスで相模大野、電車で秦野着
平均年齢72才のおじじの行状を年齢別に紹介する。
票鬚じじ”=このおじじ、最高齢者にもかかわらず
一番しっかりしていて酒が強い。1日目夕食、外でかなり
飲んだにもかかわらずホテルへ帰って飲み足りないから、と
ホテル内すし屋へ皆を引率。日本酒ひとり2合を飲み(
外食飲酒に加え)まだ足りないからとボトルを買って
部屋で飲む。帰りのフライトではスチュワーデスに
食事時ワイン赤白2本をいっぺんに頼んで顰蹙を買う。
困ったもんだ!
9日(月)成田ビューホテル前泊
10日(火)9時20分ANA機成田発
午後台湾到着 現地ガイドが両替店案内
各人1万円を交換 交換率は1万円=3400元
11日(水)朝からオプションのバスツアー
台北市内(故宮博物館、忠烈祠、九分(人偏)市内
昼食(鼎泰豊で小龍包)と夕食(梅子餐庁で中華コース)
つき いずれも有名レストラン
12日(木)自由日にて昼間国立歴史博物館
夜”川鍋”にて火鍋
13日(金)午前中ガイドと土産店
13時25分(現地時間発)2時間半で成田着
バスで相模大野、電車で秦野着
平均年齢72才のおじじの行状を年齢別に紹介する。
票鬚じじ”=このおじじ、最高齢者にもかかわらず
一番しっかりしていて酒が強い。1日目夕食、外でかなり
飲んだにもかかわらずホテルへ帰って飲み足りないから、と
ホテル内すし屋へ皆を引率。日本酒ひとり2合を飲み(
外食飲酒に加え)まだ足りないからとボトルを買って
部屋で飲む。帰りのフライトではスチュワーデスに
食事時ワイン赤白2本をいっぺんに頼んで顰蹙を買う。
困ったもんだ!
2009年03月09日
2009年03月07日
WBC 韓国にコールド勝ち
どうだどうだ!
勝負は勝ち負け。どっちが勝っても負けても
現代スポーツは後味よくしたいもの=小生わずかな
たしなみに囲碁をやるが勝負中もしくは対局後に
態度の悪い人が多く次に対戦したくない。そしてもともと
あまりスポーツに関心なくとくに野球はプロアマとも
ほとんどTV観戦することはない。
ところがここに最近五輪を含め、対韓国戦の勝負には
かなり気合を入れて見ている。それは韓国側が
対日本について勝てば勝ったで日本をぼろくそにいい、
負ければ日本が汚い手を使った、となじることに気づいたから。
(韓国のマスコミレベルは相当低い=”反日国是”か)
この試合は韓国・朝鮮のそんな言い分を一挙に粉砕した
快挙だ。イチロー、内川、村上、城島、よかった。
次もがんばれ!
勝負は勝ち負け。どっちが勝っても負けても
現代スポーツは後味よくしたいもの=小生わずかな
たしなみに囲碁をやるが勝負中もしくは対局後に
態度の悪い人が多く次に対戦したくない。そしてもともと
あまりスポーツに関心なくとくに野球はプロアマとも
ほとんどTV観戦することはない。
ところがここに最近五輪を含め、対韓国戦の勝負には
かなり気合を入れて見ている。それは韓国側が
対日本について勝てば勝ったで日本をぼろくそにいい、
負ければ日本が汚い手を使った、となじることに気づいたから。
(韓国のマスコミレベルは相当低い=”反日国是”か)
この試合は韓国・朝鮮のそんな言い分を一挙に粉砕した
快挙だ。イチロー、内川、村上、城島、よかった。
次もがんばれ!