2011年08月

2011年08月31日

佐々木譲「密売人」・警察公園

RIMG0021北海道警刑事関係のS(スパイ=警察協力者)が次々に殺害された。数年前に起きた暴力団検挙のお礼参りと推定される。警察組織浄化を目指す警部補(とその仲間)が事件解明に取り組む。著者のこれまでの作品より緊張感がない。

夕方焼酎1瓶と昨日お土産のつまみ2種(イカ丸干しとトマト塩辛)を持って徒歩5分の”警察公園”へ。一杯やりつつつまみを撒き、アリの食事行動を観察するのが面白い(暗いなー)。あす改めて写真入で報告する(?)

”警察公園”とは3年ほど前まで秦野警察署本署があった跡地にできた公園だ。当市に豊富な湧き水を引き込み和風の岩組みから吹き出させて池を作る。ベンチが三つ。バス停前のオープンな場所にあり小さくても気持ちがいい。天気のいい夕方ここで一杯やるのはちょっと幸せ気分。

atelier246 at 20:20|PermalinkComments(0) 読書 

2011年08月30日

上越線!?

RIMG0044国鉄上越線には乗ったことがないと思っていたが今回の旅行で列車時刻表をひっくり返していたらどうやら40年以上前に沼田から高崎までのったようだ。それは福島県桧枝岐から尾瀬を突っ切って沼田に出たのだと思う。地名は覚えていたがその他の記憶はない。また長岡にも一度行ったことはあるがそれは新潟からだったはずだ。そこで今回六日町からなんとか在来上越線に乗りたかったが高崎までつなげるのはかなりな苦労ということが分かって断念。昨日の逆コースで湯沢から新幹線だがこれも昨日とは違っていたのでちょっとびっくり。

鈍行だと思ったら湯沢までノンストップ(きのうは停まったスキー場などは通過)
沿線のあちこちで山崩れが起きていた。先ごろの豪雨の被害という。
また新幹線も昨日は停まった上毛高原駅に停まらなかった。
新幹線湯沢駅はなかなかユニークだ。構内に温泉があったり宴会場があったり
ここでのお土産はいか丸干し・かんずり・酒チョコレート
酒ジャーキー(これはうまい)・サケ酒浸し・塩まめ・
トマト塩辛(これもうまい) (ナンじゃおつまみばっかり)

東京からは東海道で平塚へ。バスで秦野。2泊するつもりが
1泊で早い時間に帰宅してしまった。

夕方ワンカップとつまみを持参してR喫茶へ。
ビーフとさんまで燻製作りをすることになったバカ話。

(写真はホテル坂戸城の”露天風呂” 小屋のなかに
畳敷きの茶室仕立てになっている 床の間もあって面白い)




atelier246 at 20:20|PermalinkComments(2) 社会 | おばか

2011年08月29日

六日町”五条哲也”ショー

RIMG0043新潟県六日町にホテル坂戸城というのがあってそこできょうから3日間”ビール祭り”が開かれる。我々が応援している演歌歌手の五条哲也君が出演するというので出かけた。

はじめ車にしようか電車にしようかかなり迷ったが(途中旅名所を尋ねたり)ひとり運転は疲れそうなので電車にした。上越線は乗ったことがないので(スキー、山はやらないし)時間距離の感覚が全くなかったが東京から1時間20分で越後湯沢に着いたのには驚いた。こんなに近かったのか。湯沢では在来線待合が40分ほどあったので駅の外へ出てみた。真夏の日差しが白々しく歩くほどの商店街もない(雪があったらぜんぜん違う感じだろう=左側に曲がる小道は夢の敦賀だった)。

しかし新幹線駅中はしっかりした商店アーケードで人ごみがある。なるほど新幹線効果というのはあるんだな。駅中の回転すしで昼食。すし飯の握り方はめちゃくちゃだったが上の魚がうまくてまあ満足。

在来線で20分ほど六日町へ。ここは合併の結果南魚沼市というらしい。駅前やはり閑散としているが駅構内に”棟方志功アートステーション”というのがあり見学。入場料500円。このあとこのが生誕地という戦国武将・直江兼続 の資料館を見ようと歩いたが暑くてそのままホテルへ行った。

夕方から”ビール祭り”円い中華テーブルに10人づつ座って22卓。満員の盛況である。小生の両隣には秋田と川崎の後援会幹部がすわる最前のテーブルだ。五条君のステージはなかなかよかった。周りが酒を飲まない人ばかりでひとりで焼酎を痛飲。うまかった。(写真は小生前に座ったゆかた美人)

atelier246 at 20:20|PermalinkComments(1) お酒 

2011年08月28日

何か好きことあるような

RIMG0024(写真のカップで毎日焼酎がぶ飲みするので唇あたる所がくすみ歯型もついた!=まさかね)東京よりS氏夫妻が来館。ホームページを見てくれて訪れた。上海に在住経験があり中国や骨董で話はずむ。氏いわく来週中国より”骨董収集団”(?)が来日するので紹介すると。今、中国の骨董収集家はめちゃめちゃな金持ちが多いので何か高いものを買ってくれると助かる。


台湾真情歌(11) 
『天神も地祇も哀しめひたすらに平和を冀ひて来し民なるを』(鄭埌耀) 
『日の本の放射能漏れ発電所に踏みとどまれる勇士らを称ふ』(黄昆堅)  
『「泣きません前に向かって歩きます」少女の一語に光を見たり』(佐藤厚子)       <歌集”えうかりぷたす”>

atelier246 at 21:03|PermalinkComments(0) 骨董 | 中国

2011年08月27日

竹田恒泰「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」

RIMG0020題名と中身がちょっと一致しないようだが日本が世界最古の国家形態を維持している唯一の国であること、その根源には”天皇”(すめらぎ)が在るとの指摘に同意。


台湾真情歌(10) 
『核災を決死に救ふ人尊び東電のトップ酒に酔い痴れて』(江春凱)  
『大正生まれ昭和育ちの我なれば日本大震災にこころの沈む』(呉寿泉)  
『大津波に呑まれて消えし方の為献金箱に「飲み代」入れる』(頼衍宏)  
 <歌集”ゆうかりぷたす”より>

atelier246 at 20:20|PermalinkComments(0) 読書 | 社会

2011年08月26日

台湾歌集”ゆうかりぷたす”

RIMG0017台湾・高雄市に「義守大学」という私大がありこの日本語学科が事務局となって”ゆうかりぷたす"という日本語による俳句集を発行している。先日大学に寄付した謝礼ということで10冊が送られてきた。

B5版115ページ カラー写真も豊富で美しい冊子である。中身も濃く、作品から講評、同人消息までさまざまである。中国語による俳句論もある。なかでも最新号の特徴は”東北関東大震災祈祷平安歌文集”という名前で短歌集が組まれていることだ。被災者を悼み日本を励ます短歌100数十首が特集されている。そのひとつひとつに台湾人の真情が感じられる。小生自分のtwitterおよびこのblogに全文を転載するつもりだ。

(ユウカリプタス=”ユーカリ”のこと。この歌集とどのような関係があるか不明)

台湾真情歌(9)  
『悲惨なる災害なれど日本の友よ畏れず出せ底力』(林碧宮)  
『持ち家もカーもことごと流れ行くテレビニュースに瞼がにじむ』(李錦上)  『台湾を驚かしたる日本の津波被害者に哀悼捧ぐ』(顔雲鴻)  
<歌集”ゆうかりぷたす”より>



atelier246 at 18:57|PermalinkComments(1) 東北関東巨大地震 | 詩歌

2011年08月25日

水木楊「謀略海峡」

RIMG0018中国が航空母艦を持ったのを機会に(まさに現在の状況)台湾侵攻を開始する。その直前のスパイ合戦(日本にも民間を装ったスパイ組織があった=ほんとかな?)の虚実。台湾はそれを察知し事前防御に乗り出し中国大軍を一時阻止する。しかし日米は自分の損害を恐れて動かない。そこで台湾側が日米を参戦させるために放った機略とそれに乗った日本工作員は? 非常に現実性がある話だ。
(日本首相が決断できない場面も現在の状況を思わせる)

これは本年3月の新刊出版で著者は日経新聞外報部長など
を務めた人。1937年(昭和12年)上海生まれというから
小生より5歳年上だ。こういう年配者が現役作家であるのを
知ると励まされる・

台湾真情歌(8)  
『巨大なる地震に命取られたる御霊の冥福只ただ祈る』(荘淑貞)  
『国挙げて未曾有の国難対処する大和魂存亡の秋』(姚望林)  
『大地震相次ぐ津波「艱難汝を玉にす」頑張れ!日本』(林燧生)  
 <歌集”ゆうかりぷたす”より>

atelier246 at 18:23|PermalinkComments(0) 読書 | 中国

2011年08月24日

ケータイ乗り換え

RIMG0016ケータイをソフトバンクからドコモのラクラクフォンに乗り換えた。2年前、一緒に購入した奥さんが先日ひったくりにあって新たに入手する必要となったのがきっかけ。ソフトバンクの犬を使ったTVコマーシャルが嫌いなこととラクラクフォンの文字が大きくて使いやすい、ワンタッチ機能がある、と思ったから。

夕方O食堂に出かけ一杯やりながら説明書見つつ
初期設定にかかる。その結果、こりゃやりづらい!
もちろん不慣れということもあるが第一待ちうけ画面が
うるさすぎる、ワンタッチにの設定ができない、
アドレス帳がでてこない(これならSBのほうがいい)。
改めてドコモへ行って説明聞いてくることにする。

台湾真情歌(7)  
『暖かき支援の心が輪を広げ復興の道は希望に輝く』(高阿香) 
『未曾有なる地震と津波の国難にも春は忘れず花は咲きたり』(北条千鶴子)  『震災に見する惨事に動転す原爆後の広島憶ふ』(陳皆竹)  
   <歌集”ユウカリプタス”より>

atelier246 at 20:39|PermalinkComments(3) おばか | 社会

面影を求めて 板橋のお地蔵さん

RIMG0004”板橋のお地蔵さん”というのは小田原市板橋にある香林寺のことである。1月と8月の23日にご縁日があって毎年近郷近在の人でにぎわう。小生も小田原生まれ育ちとてこれまで何回も訪れた。

このお地蔵さんにはいくつかのご利益があると
言われているがそのひとつは参詣の人ごみの中に
亡き人によく似た人がいる、という話。

本日午後奥さんと出かけた。朝のうちかなりの
雨だったが午後はすっかり晴れ夏が戻ったよう。
16時過ぎの境内は明るくて人が少なかった。
やっぱり参詣は夜だな(ほかの寺社周りと異なり)。

榊と線香のセットを100円で求め本殿に供える
本殿拝のあと供養の紙塔婆を書いてもらう
(父の法名”満慈院円覚善哉居士”および施主として
我々夫婦の名前)2000円 手ぬぐい1本がつく
さらに隣で100円を置き父の菩提のためろうそくを
上げてもらう。命日を係りのおじさんにいうと
「何月何日のご先祖におろう一丁!」と叫ぶ すると
本尊前の回転式ろうそく台の前に控えたおばさんが
同じく「おろう1丁!」と叫んでろうそくに火をつけて
くれる(写真)

これで本拝を終わりあとはオビンズルさまの頭をなでたり
地獄極楽の絵図を見たりしながら帰途につく。
おみやげ=お守り さかな干物 餅

この日父に似た人には残念ながら会えなかった(夜の
人ごみじゃなくちゃだめかな?)
その代わりサッカーの澤穂稀選手に似た人を見た!

東北大震災の犠牲者も慰霊した

台湾真情歌(6)  
『「ありがとう台湾」といふこの言葉永久に伝へむ子へ又子へと』(劉心心)  『鯉のぼり支援の風に泳ぎだし励ます如し頑張れ日本』(周福南)  
『救済の食事に深ぶか頭をさぐる被災者なるに礼節ゆかし』(佐藤厚子)  
<歌集”ユウカリプタス”より>



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2011年08月22日

「”盆の辻”秦野 2011年8月」の原稿

RIMG0030(写真は林家の”辻”。高さおよそ1メートル。きれいな竹と砂だけで作った古格ある辻である)

『館長コラム癸僑検 屐繁澆猟圈豹遡遏。横娃隠映8月」 

この夏、4月になくなった父(93歳)の新盆であり我が家で初めて“辻”を作った。
これを機会にいろいろ考え取材した。以下その報告

”辻”とはなんだろうか。お盆でご先祖がこの世の家に里帰りする、その目印またはお旅所である、と考えられている。従って家に入る目印であるから空から見えるよう高い”楼閣”を造りそこに登る階段を作る。また家に入るためのお旅所であるから楼閣の頂上に蓮の葉を敷きその上に「ソーメン」と「刻んだナス(アライアゲ)」を供えて軽い食事を取ってもらった後、家に入ってもらう。(なお“辻”が里帰りのための家の目印・お旅所であろう、というのは私の意見)

当地の”辻”についてはあまり文献がないようだ。小生の見た限り「神奈川県史 民俗編」が一番詳しく「秦野市史」にももちろん取り上げられている。両書を合わせるとこのような盆風俗は富士山麓から神奈川県中部を通り多摩川辺に至るようだ(つまり当市付近が中心とる)。江戸時代の宗教活動に起因するらしいが確かなことはわからない、という。また語源もわからない。名称は“辻”のほか“塚”または”砂盛り”と称している。

作り方だがまず女竹を井桁に組む。これは”楼閣”を表すと思われるので高いほうが好いようだ。次にその楼閣に登るための階段を同じく竹で作る。基本はこれだけで井桁と階段には砂を入れて水をかけて締める。この砂は当地伝統的に富士山の黒砂(粒子が粗く水で締まる。色感が好い=厳か)が最上とされる。従って市内で昔から立派な”辻”だといわれているものは井桁の竹が綺麗で楼閣を高くし黒砂で締めている、というのが基本で花飾りなどはあまり重視されていないようだ。
ことし市内をまわって気づいたことのいくつか(なお秦野のお盆期間は市内中心部が8月で周辺部は7月に行われる。従って今回の報告は市内中心部に限っての話)を列挙してみよう。

 板圈匹鮑遒覯箸たいへん少なくなっている
△修虜遒衒だがほとんどが木で箱をつくりその中に砂を盛っている(出し入れ管理に便利)
3段の方向は家の正面に向いているのがほとんどだが中には横向きのものもあった。意図的にそうしているようだがその意図(慣習)のいわれはなんだろうか
ぁ板圈匹猟詐紊砲蕨,陵奸丙遒衒が多くなっている)にソーメンとナスを刻んで置く形式が多いがそれを置かずに線香を直接挿す形もある
ァ醗羞紂匹鮖戮┐觧誘の竹の柱には花(多くはほおずき)をさす(=鬼灯は文字通り提灯の象徴か)
飾りの“蓮の葉”(花ではない)は多くが金色の作り物で頂上の1箇所に立てる
Р真佑の経験者に聞いたが特に形式の決まりはないという。また“松飾り”のような職人に頼むわけではなくその家の男が自作するのが普通だ
┌隠監朝に“辻”を作り夕方迎え火でご先祖を迎える。15日は一日家におられる。16日は“お買い物”といってご先祖がこの世で行きたい・会いたい人のところへでかける。従ってお弁当を備える(だんごなど) 17日に送り火を焚いてお帰りになる。 
“辻”は昔は竹や飾りを取り除いたあと、砂は自然に放っておいて土道に返したそうだが今は舗装道でそうも行かないこと、砂の入手が困難であることなどからほとんどが箱を土台として辻を作り砂を回収している。』

atelier246 at 20:20|PermalinkComments(4)  | 社会

2011年08月21日

不調のPCを修理に出す

RIMG0100一時不調(=接続のスピードが異常に遅くなった)になったがその後自然治癒した我がPC(今年2月に購入)だがまたまたおかしくなったので本日保証書を添えて製造会社に送った。どうなることか (現在のPC活動は3〜4年前に買ったもので代用している。結構動く)

台湾真情歌(5)  
『みちのくの大地震津波の石巻卒寿の独り居師母は如何にと』(林蘇綿)  
『九度地震津波襲ひし日の本の友ら明るく生くるを祈る』(陳珠璋)  
『東北の大地震津波の情報をテレビで見つつ我涙する』(謝白雲)  
<歌集”ゆうかりぷたす”より>

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2011年08月20日

野菜1袋100円は安い!?

RIMG0095右上から空心菜 ピーマン シシトウ ナス 下は長ネギ ニラ。(奥さんが葉物を買ってきて、と言ったから8月20日はサラダ記念日)

これで各100円は安いと思う。というのも小生”そば屋”店主として!常に原料費に注意しているが!スーパーではナスの値段が異常に高いと思う。例えばきょう買い入れたのは地元の農家組合(農協とは別)が共同出荷している売店だが大振りのナス5個で100円。スーパーではこれより小さくて5個200円。なんと同じ日に2倍の価格差がある。ポイントで1パーセントバックされてもなんにもならん。

atelier246 at 19:47|PermalinkComments(1) 社会 

2011年08月19日

3バカおやじ お気楽談義

RIMG0082(R喫茶店にて) 
『腹具合が悪いんだけど胃腸薬ない?』 
『せんぶりならあるよ』 
『おー それそれ』 
『えっ 焼酎漬けかよ』 
『ちょっと試し飲みしてみよか』 
『うえー 苦え!』 

『にせせんぶりなら苦くない』 
『なんじゃ それ』 
『信州の山の中にある』
『苦くないんじゃ効き目もない?』 『うん』
『じゃ 葉っぱの色つき焼酎か』 『うん』

『ゆんべのサカナは稚アユのてんぷらだった』
『あれ 川魚は食わないんじゃなかった?』
『ん てんぷらならいいんだ』
『そういやコイとかウナギのてんぷらってあるの?』
『ナマズはあるなー』
『最近てんぷらは塩がいばってるがナマズは天つゆだっ!』

『小学生のとき海へ入ったら鯉が泳いでいてびっくり』
『ばーか ボラのことだろ』
『そうともいう』

『そういや昔 海に鮭を釣りに行ったなあ』
『密漁か?』
『いやサケの漁業権ってのは川にはあるが海にはない』
『川の漁協が川口何メートルかで規制するらしい』
『で釣れた?』 
『ぜーんぜん シャケ弁食って帰ってきた』

(以下えんえんとお気楽話続くも略
写真左は長崎県五島の熟成麦焼酎
右は宮城県登米の純米酒
いずれももらい物 うまいです 謝謝!)

atelier246 at 20:20|PermalinkComments(2) おばか 

2011年08月18日

台湾の大学から感謝状

RIMG0080台湾高雄市にある義守大学から感謝状が送られてきた。この大学の日本語学科が中心となって台湾で和歌・俳句・川柳を趣味とする人たちの作品集”ゆうかりぷたす”というのがあるが先ごろ発行された第2号は東日本大震災の特集号として日本を応援している。涙なくして読めない。また台湾は震災義捐金として多大の金品を贈ってくれた。まことにありがたいことである。

しかるに日本政府は国内にいる外国人留学生には見舞金を贈ったのに対し台湾留学生には「国交がない」という理由で贈らない、という。なんという情けない仕打ちか!

小生義によりかの大学へ「次の第3号発行の一助にしてほしい」とわずかな金を送った。その謝礼であるという。意気に感ず。次はなにか日本の書籍を寄贈するつもりだ。

『「我が友よ日本は必ず立ち上がる」日本語族の想いよ届け』(館量子)

(この本ご希望の方には贈ります。連絡ください)

atelier246 at 20:20|PermalinkComments(2) 東北関東巨大地震 | 中国

2011年08月17日

筒井康隆「熊の木本線」

RIMG0071久しぶりに怖い話を読んだ。金の星社「お助け・三丁目が戦争です」所載表題作。

著者はSF(ショートショート、どたばた)の第1人者(?)である。旅人が列車に乗り合わせた客から近回りだと勧められて”熊の木本線”に乗り換えた。列車待ちの間にこの客の実家で行われていた通夜の席で酒を飲んだ。列席者が歌って踊る。最後に旅人も勧められてでたらめの歌踊りを演じるが列席者は全員凍りついてしまう。その歌詞は偶然にもこの一族で禁忌となっているものだった=その歌詞を口にすると日本に大災厄がふりかかる、と。

10年以上前のニューヨーク大停電で日常のちょっとした出来事=電灯をつけた、とか いつもは左足から風呂に入るのにそのとき右足から入った とか=を自分がしたから大停電を引き起こして、と思った人が多くいたそうだ。

東北震災(原発)、おじじの死以後、どうも心が晴れない。こんな話を読んでも気になってしまう。

本編は昭和49年(1974)作。著者は12歳のときの”知能テスト”でIQ178と判定されたそうな。

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2011年08月16日

”辻”の最後

RIMG0067夕方水無川沿いの道路を走っていたらちょうど信号で停車した反対側に数人の警察と消防がなにかやっている(写真)。どうやらきょうで役目を終えた盆飾り一式が廃棄されるに当たって集積所が指定されているがそこで火の手があがったらしい。まだ火が残っていた線香かなにかが廃棄集積物から燃え上がったらしい。危ないことだ。

”辻”に使った竹や作り花、牛馬のミニチュア、提灯などの盆飾りは同じくお供え用に使ったコモござに巻く。そして普段のゴミ捨て場とは異なって水無川の堤防の際に置くことになっている。これは翌朝回収される。もちろん昔は川に直接流したらしいが。

我が家でも送り火を焚いて新盆のおじじを送った。

atelier246 at 20:20|PermalinkComments(1) 社会 | 歴史探偵

2011年08月15日

8月15日の母(4)

DSCF0047



小田原から東海道線を国府津で
御殿場線に乗り換え山北で降りる

背中いっぱいの荷物を背負った
25歳の母は
3歳半のオレの手を引き
1里あまりの田舎道を歩いていた

小田原も空襲が危ない
長男のオレだけでも
疎開させよ 実家の
ジジババの勧めで
その遠縁にあたる農家に
ソカイに行くのだった
(2歳の弟は女学生の叔母と家に残り)

炎天の道に疲れて
オレがぐずると
母は懐にある
半握りの砂糖から
一つまみを紙に移し
オレになめさせる

そのあと 2〜3百メートルごとに
砂糖をなめたオレは
(母のモンペの陰になって
一口の水筒を口にしつつ)
(途中馬車引きのおじさんが荷車に
オレを乗せてくれ母は何匹かの
魚干物をお礼に渡したという)

最後は 両側竹林の薄暗い切通し 
が 涼しかった

着いた先は”内山”という村にある藁葺き農家
普段は使わないという奥の間に通された
そこには我が家隣家のおばばがいてオレの
子守役という そしてこの部屋には
天井柱に”ミーさま”がいてネズミを
とってくれるのでいたずらしないように、と

オレの背丈よりも長い青大将が梁の上にいて
燐の眼でじっと見ていた ような気がする
(それは何年かあと少年オレの夢だったろうか)

母は米や魚の干物、味噌、砂糖などでふくらんだ
背中一杯の荷物ををソカイ先の農家に渡すと(農家と
いっても山家で米・魚が貴重だったそうな)
井戸水一杯を飲んだだけで帰って行った(そうだ)

オレはそのとき疲れ果てて寝入っていたのだろうか。
帰りゆく母の面影もない。
夜の小便は隣家のおばばが介添えしたそうな

母は疎開中1週間に1度、食物を届ける約束だった
らしいが 2回目を届ける前に迎えに来た。
日本が負けた翌日という。

暑いこの夏の記憶は白い田舎道、母のモンペ、藁葺き屋根と
冷たい井戸、ミーさまの言葉

atelier246 at 21:00|PermalinkComments(0)  

2011年08月14日

”盆の辻”について

RIMG0003月遅れ盆のきのうきょう、秦野市内にある”辻”の写真を採りまわった。たぶん30件くらい。数年前から比べたらその数が大幅に減り簡素なものが多くなった感じがする(本物の竹の代わりにパイプを使うとか。写真は昨日小生が悪戦苦闘して初めて作ったもの。あちこち見た中では好い感じになっているとひそかに自慢している。

さてその”盆の辻”だが10日ほど前このブログに記そうと思ってタイトルだけ載せた。その後分かったことも含めて後日ホームページに載せる論文のメモとしておこう。

”辻”とはなんだろうか。ご先祖がこの世の家に里帰りする、その目印またはお旅所である、と考えられている。従って家に入る目印であるから空から見えるよう高い”楼閣”を造りそこに登る階段を作る。また家に入るためのお旅所であるから楼閣の頂上に蓮の葉を敷きその上に「ソーメン」と「刻んだナス」を供えて軽い食事を取ってもらった後、家に入ってもらう。

当地の”辻”についてはあまり文献がないようだ。小生の見た限り「神奈川県史 民俗編」が一番詳しいようだ。それによるとこのような盆風俗は富士山麓から神奈川県中部を通り多摩川辺に至るようだ(つまり当市付近が中心となる)。江戸時代の宗教活動に起因するらしいが確かなことはわからない、という。また語源もわからない。さらに神奈川の海沿いにも同様な風俗があるが”砂盛り”と称しているという。

作り方だがまず女竹を井桁に組む。これは”楼閣”を表すと思われるので高いほうが好いようだ。次にその楼閣に登るための階段を同じく竹で作る。基本はこれだけで井桁と階段には砂を入れて水をかけて締める。この砂は当地伝統的に富士山の黒砂(粒子が粗く水で締まる。色感が好い=厳か)が最上とされる。従って市内で昔から立派な”辻”だといわれているものは井桁の竹が綺麗で楼閣を高くし黒砂で締めている、というのが基本で花飾りなどはあまり重視されていないようだ。

この”辻”の写真は小生HP「アトリエ246」の「館長コラム」でまとめる予定。

atelier246 at 15:54|PermalinkComments(3) 社会 | 歴史探偵

2011年08月13日

新盆 満慈院 辻

RIMG0002本年4月2日に93歳でなくなった父「満慈院円覚善哉居士」(まんじいん えんがく ぜんざい こじ)の新盆を迎えた。

11時に法要開始の予定が和尚30分前に来宅。参加予定の妹一家は半分間に合わなかった。その後”辻”の手直しなどで悪戦し汗かいたので冷房のある事務所へ戻って昼寝。

初めて組み立てた”辻”は井桁がすぐばらばらになるので悪戦苦闘。しばらくして気づいた。四隅の柱竹を箱の底上げに使っている発泡スチロールに差し込んで固定すればいいのだった。コロンブスの卵

早めに奥さんと迎え火を焚きカメラを持って自転車で町を一巡り。”盆の辻”をできるだけ多く収録しよう=街なかの辻は本当に少なくなっているので。この日だけで20件以上の辻を写す。どの家も撮影に協力的だった。豪華なものが好いとはいえない話だがきょうだけのベストスリーを挙げるとすれば(順不同で)「やなぎ屋旅館」 「玉川屋豆腐店」「本町 林家」となる。さらに撮影し我がHPの論文集『館長コラム』にまとめるつもり。

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2011年08月12日

日吉ミミ

RIMG0001歌手の日吉ミミ逝く。64歳だって。30年位前カラオケで持ち歌としてたまに歌った。78歳のかっちゃんバーが一昨日オープン。そのときご祝儀を忘れたので本夕改めて行く。19時開店直前だったのでかっちゃんはソファに休んでいた。しばらくして常連のおじさんと韓国人おばちゃんホステスが登場。日吉の話になったので「男と女の話」を歌った。これも供養か(小生カラオケバーにはよく行くが=駅前スナック”0”=まず歌うのは年に2〜3回程度)

昼間”盆の辻”つくりのために郊外へでて女竹を採ってくる。夕方竹を切って井桁に組もうとしたが組み方がわからない。接着剤を使うことに思いいたったがその接着剤がない。よって作業はここまで。あす盆の入り午前中に完成させよう。

atelier246 at 06:03|PermalinkComments(0)  | 社会

2011年08月11日

我がPC 彼がPC

RIMG0223今朝PCを開いたら立ち上がりが異常に遅い。起動するまで5分ほど。さらにそのあとウィンドウズの更新ソフトを入れるという表示が出て終わるまで5分くらい。そのあと画面が出てネットは正常スピードで動くようになった。どこか調子が悪いらしい。M師匠は保証書でメーカーに送るべきだ、といっているがもうすこし様子を見ることにした。

午後R喫茶へ行く。このマスターが6年前会社勤めのときに使っていたという古いPCを取り出しお客さんにオーバーホール(?)してもらったのだという。我がEモバイルをくっつけたらネット動作した。ただし何をやるにしても遅い。6年前はこのスピードが普通だったんだな。

atelier246 at 20:35|PermalinkComments(1) おばか | 社会

2011年08月10日

墓石を洗う

RIMG0216おじじの新盆を3日後に控え今朝墓石を洗ってきた。小生が我が家の墓石を洗うのは初めてだ。これまではおじじが90歳になる3年前まで毎年春秋のお彼岸2〜3日前には朝早くひとりで墓を洗いに行っていたがこの3年間は草むしりする程度で洗ったことはなかった。それが今年からは小生の役目となった。行き返りおじじが残したカラオケカセットを聴きながら感慨あらたなり=いまオレが死んだら数年後オレを思い出してくれるのは奥さんくらいだろうか、ぼけていない限り、さびしいな、と。

我が家の墓の初代は『大正12年9月1日 代助 12歳』とある。そう関東大震災でひとり息子が親(オレの祖父母)より先に死んでいるのだ。88年前である。このとき寺は小田原にあって墓石は”根府川石”で作られた。今の寺に移った20年前石屋はこんな立派な(庶民としては)墓石と石組みが残っているのは珍しい、といっていた。なるほど回りの墓がすべてぴかぴかの外材使用であるのに対し我が家はいかにも古めかしい。

<twitterより>朝のうち墓石洗い。シャワーのつもりが事務所で冷房つけたらそのまま極楽極楽。帰宅してシャワーで極楽極楽。いま焼酎玉露割で極楽極楽 17時35分

”かっちゃん”カラオケ 本日夜のバーとして開店 ちょっと顔を出す

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2011年08月09日

御殿場・二岡神社 訪問

RIMG0224「御殿場 ニ岡神社(にのおか)」で検索すると/肝逎好櫂奪函´地域最古の神社 I吋曠織襦,罵名と出てくる。
小生が本日訪問のきっかけは先日ホタル探索に訪れた知人が神社の雰囲気と宮司さんの人柄が好い、とほめていたから。前日宮司さんのご都合を聞いて出かけた。

ナビ車で現場までは到着だが公道から神社に入る山道に案内がない。それでも境内に入ると普通は寄進者の名前が入った石塔などに囲まれたり石灯籠などがあるものだがこの神社では鳥居1基、石灯籠1組のみが配置されているだけだ。

なるほど境内は(下の案内ブログに写真多し)参道杉の大木が連なり幽邃の趣きあり。本殿は古い木造1棟。手洗い水が懇々と流れているほかは動く物音とてない(境内掃除のおじさんひとり。聞くともなくこの手水1組はこの人の父御が寄進したもので水は上の谷水よりひいて飲むことができる、と。まこと美味なり

宮司さんに話を聞く。なんと38代目にあたる由緒がある、と。昔ヤマトタケルがこの地を通ったとき云々、平将門云々、いずれも古伝だそうな。
”心霊スポット”として話題になり時たま真夜中にワー、とかキャアーとか言う(若者の)悲鳴(歓声?)が聞こえるが(夜、入り口を閉鎖することもなく)放っておくそうだ。まことにおおらかな宮司である。

”姫ホタル”については宮司さんの名刺に夜の境内の写真があり人が歩く高さに無数のホタルが飛んでいる。幻想的。姫ホタルは陸生なので特に水辺がなくとも繁殖するがまだ生態はよくわかっていない、という。来年はぜひ見学したい。

(なお”二の岡”の地名だが1から7まであったらしいが今は知る由もない、と)

<twitterより>
朝から御殿場・二岡神社 小田原・岩瀬屋敷(公開してなかった) 喫茶Rで拓本談義 いまおばばのデイサービス迎えから帰った 17時から駅前スナックOにて囲碁の個人レッスン 16時35分

駅前スナックOより帰還 囲碁は当方3子にて惜敗 いろいろ時事放談はあったが京都大文字焼きで東北の被災者名を刻んだ松ノ木を燃やさない、ということに京都のバカヤローで一致。マスターもう京都には行かない、と。共産党・社民党の人情無き残滓か また京都人の狭量か 19時15分

<参考ブログ=写真多し;二岡神社 完 | 廃異不思議探検隊
navy.ap.teacup.com/husitan/164.html - キャッシュ>

atelier246 at 19:20|PermalinkComments(0) 歴史探偵 | 社会

2011年08月08日

すごいことになっている我がトマト樹林

RIMG0223机から見られる小庭だが片隅に2坪ほどの”畑”がある。ありますものはサトイモ3株(去年の残り芋から発芽)ピーマン2株 きゅうり2株それにトマト4株。トマトはそれぞれ種類が異なる。このところ毎朝数個を収穫して楽しんでいる。

でそのトマトだがはじめのうちは脇芽を欠いていたがみるみる
大株となっていまや写真の通り。すごい樹林になっている。
植え付け前に腐葉土を加えただけで一切の農薬をやっていないが
なにか栄養のバランスがいいのか悪いのか 素人には分からない。

ほかにミニトマトもかなり時期を遅れて植えたがこれは高さ
20センチほど。花も咲いていない。
周りに大葉、ニラも残っている。なんでもない夏の朝だよ。

atelier246 at 20:20|PermalinkComments(2) おばか | 自然

2011年08月07日

”ひな軸”(または”絵紙”)について資料メモ

(販売店 高岡市)www.suiho.co.jp/hina_top.html
(自宅にあった 再生した)Tsuny's blog: 古い紙の雛軸の時代背景
pub.ne.jp/Tsuny/?entry_id=2770762 -
(展示中)竜野市郷土資料館
(展示説明あり)I'm Lovin' It !:福岡のこと
blog.livedoor.jp/akkom52/archives/cat_10051419.html
(雛軸をリメイク : 津田額縁店〜北海道室蘭市〜)
mblog.excite.co.jp/user/tsudacc/entry/detail/?id=14287284
(飯塚宿 〜雛(ひいな)のまつり〜 )
blogs.yahoo.co.jp/drfcr421/23767875.html - キャッシュ
<雛の展示会には軸もかなり出品されているようだが雛以外=武者、神宮皇后、天神などは見当たらない>

(掛軸の新規製作・修理)”絵紙”の文字あり
www.tokyo-do.com/jiku/jiku.html - キャッシュ
(”絵紙”種類多し 絵紙で彩るひいな祭り 新潟見どころナビ)
www.naviu.net/.../egamideayadoruhiinamaturi.htm - キャッシュ
<雑多な浮世絵を掛け軸に>

(絵紙文化の中越地方…)
blogs.yahoo.co.jp/takesikabulife/60795789.html

( 2011/05/13(金) 18:03:44.33 ID:df/FAve8O 『絵紙女房』)
1.貧しい男が仏様に嫁が欲しいと祈っていると、女の絵紙を授かる。
2.男は絵紙を飾って飯や茶をあげている。ある日見知らぬ女が来て家事をしている。
3.男は女を嫁にして子作りもするが、ある日女は「いつでも会いにこい」と告げて絵紙に戻る。

昨日今日”反韓流””反フジTV””反花王”のネット運動がすさまじい。あの国のめちゃくちゃな”侮日”言動(一応ちゃんとした新聞でも)、日本での犯罪、在日への特別待遇などを考えれば起きるべくして起きた。”反韓流”はTV編成に対するもの、”反韓”は社会情勢だが根っこにあるものは同じだろう。

それより心配なことがある<twitterより> (iOffice_Osaka isao ito / 伊藤勲 
ashitaninareba7がリツイート
人権擁護法案って日本人ではなく在日の人権を擁護する法案。頭に、在日外国人のためのってつけるべき。高岡蒼甫さんだって、韓流コンテンツを否定した訳でもないのに嫌韓のレッテルを貼られ仕事を奪われた。人権擁護法案が通ったら一般人も少しでも半島を否定する発言をすれば差別と糾弾される。)




atelier246 at 20:28|PermalinkComments(2) アート | 骨董

2011年08月06日

梅干し再び

RIMG02342週間以上も前にいったん土用干しのつもりで甕からだした梅だけどその後生干しのまま甕に戻していた。気になっていたが好天続く見通しがなくきょうまで来てしまった。と、本朝絶好の晴れ間。それっとざるへ並べて外へだした。ところが昼過ぎ一天にわかにかき曇って大夕立ち。奥さんが取り込んでくれていてまあ助かった。今夏はほんとに不順だなー。それとも我がカンが鈍いのか。

twitterより<それにしても昨夜の雷様はすごかったなー。21時半から22時半ごろまで。時間も長かったが規模もすごかった。はじめちょっと離れて(平塚市金目あたり?)で稲光だけだったが次第に当市に近づき豪雨と雷鳴。稲光の大きさと数が半端じゃなかった。あのエネルギーなんとかならないか 7日朝5時20分>


atelier246 at 20:51|PermalinkComments(0) おばか 

2011年08月05日

我が持薬

RIMG0221(薬の名前書いたんだけど重要な個人情報と気づいていま削除した) 脳梗塞より心筋梗塞が心配じゃ アルを節制して運動しやせなければならない、といつも反省のみ。

twitterより<野田財務相『円高、さきほど介入させていただきました』 日本語としておかしいだろ!=『介入しました』 ”させていただく”といえばなんでも丁寧になると思うバカ議員 民主に多い 直裁・簡明・主体(責任)を明らかにして語れ 7時10分>

<海江田大臣も『人事を…判断させていただきました』 違うだろっ=『判断いたしました』 ”ほめ殺し”で国民をバカにしている手法 7時45分>

誰が誰に敬語・丁寧語を発しているんだか不明の用語だ 自分の発言責任をあいまいにして国民をバカにしている=”官僚答弁”より悪質かも知れない

atelier246 at 19:35|PermalinkComments(1) 社会 | 自然

2011年08月04日

16ミリ映画会 浅丘ルリ子

RIMG0225公民館へいったら映画会をやっていたので覗く。100人近い親子連れが参加していた。出し物は「忍たま乱太郎」と「ちびまるこちゃん」の手描きアニメ 面白かった。

昭和30年以前(小生小学生)、小田原の地区公民館では時々映画会をやっていたなー。また小学校でも1〜2回見たと思う。また映画館での映画鑑賞も学校授業として行われた。浅丘ルリ子主演「緑はるかに」という映画だったと思う。浅丘は”美少女”という宣伝で興味しんしんだったが思ったほどではなかったという記憶(隣組の美少女に心奪われていた小生 小5〜6)。それに筋書きはまったく忘れている。ただ暗い映画館から外へ出たとき、強烈な明るさで一瞬現実感を失ってしまった(それで映画の内容を忘れ去ったのかも?)ことを覚えている。映画館は小田原「復興館」といったと思う。”復興”とは関東大震災? 大戦?

ウィキより参考<浅丘=映画『男はつらいよシリーズ』で演じたクラブ歌手の「リリー」の役は大好評で、マドンナとしてシリーズ最多の4回の出演を数え、最後の作品となった『男はつらいよ 寅次郎紅の花』でもマドンナ役を務めた。この最終作の撮影現場で具合の悪そうな渥美清の姿を見て、「もしかしたらこれが最後の作品になるかもしれない」と思ったという。そのため、山田監督に「最後の作品になるかもしれないから、寅さんとリリーを結婚させてほしい」と頼んだと言うが、山田監督は50作まで製作したかったらしく、浅丘の願いは叶えられず、渥美は映画公開後9ヶ月後にこの世を去り、「紅の花」が最後の作品になってしまった>




atelier246 at 20:21|PermalinkComments(2) 社会 

2011年08月03日

”かっちゃん”バー 夜の部開店へ

RIMG0220毎度おなじみ78歳マスターのカラオケバー”かっちゃん”がいよいよ来週から”夜の部”を開業する。現在は午後1時開店6時または7時終店だが10日からは12時開店17時終わりの昼の部と19時開店23時終わりの夜の部にわけるのだそうだ。

かっちゃんの家は平塚市内にあり自車で30〜40分かけて通勤している。それがこんどは昼の部が終わったら自宅へ帰って夕食しまた店へ戻るという1日2往復となる。しかもこの人、高齢に加えて脳梗塞の経験がありからだがやや不自由である。なぜこんなにがんばるのかよく分からない(儲けどころかかなりの持ち出しのように見える)。ただ夕方1時間往復して自宅で食事するのは奥さんを安心・納得させるためらしい。

そしてがんばる理由だがまず本人が基本的にカラオケ好きであること(客の何人かは仲間らしい)、次にこの店は10年ほど前に借りて自分で営業するつもりが諸般の事情・発病から営業できず他人に貸していた。それが去年になって営業できる環境になったので実行した。そしてこれまでは慣らし運転として昼の部だけ開いたがいよいよ待望の夜の部オープンという次第のようだ。

すでに厨房を改善しホステスおばちゃん2人も選定(1日交代)、メニューも決めた。この厳しい時代に高齢営業はどうか。なるべく応援しようとおもっている。

<twitter>
my blogを毎日更新すること。老いの一徹じゃー。テーマを毎日考えて取材する楽しみがある。夕方までにその日のテーマと内容を構想し 寝る前に写真アップ。翌朝文章構成という流れが分かってきた。 5時35分


atelier246 at 17:40|PermalinkComments(1) お酒 

2011年08月02日

「五穀豊”登”」

RIMG0217先日友人が採拓した(小生は以前に拓本に採っている)「酒匂川大氾濫修復記念碑」の横に同じく別の記念碑が立っている。その中に「国家安全 五穀豊登」の文字がある。普通は”五穀豊穣”であろう。見慣れない文字使いだがはっと気づいた。

小生が所有している中国古代の”磚”(せん=かわら)のなかに同じ文字が使われている。1辺40センチほどの四角い焼き物に1行に3文字、全体で4行12文字が浮き彫りになっている。

1行目『海内皆』2行目『臣歳登』とある。これは『海内(かいだい)は皆(みな) 臣(しん)にして 歳(々=としどし=毎年)に登(みの)り』と読むそうだ。”登る”とは”実る”または”稔る”と同じ意味で”作物がよくできる、ということである、と。(いまその出展説明書を探したが見当たらない)従って全体の意味は『世界中が我が臣下である。毎年作物がよく稔り』となる。

この磚は他の2種類の瓦当(がとう=屋根瓦)とともに出土したそうで共に「秦の始皇帝」関連の建物の遺品である、と(各種図鑑)。つまり始皇帝の2200年前の言葉が日本の江戸時代の文字使いまでつながっていたわけだ。おそるべし 漢字の生命力!

<以下参考までに;『中国語では、五穀豊登・五穀豊収・五穀豊熟・五穀豊穣・五穀豊稔・五穀豊盈などの表現があります。最後の1ヶはやや用法がことなるようですが、他の5ヶは辞書上での明快な意味の差は見出せません。よくよく見てみると、初めの2ヶは収穫量に比重があると思える解説になっています。中国の教養人は漢字の持つ原義と古典・古詩詞での用法を踏まえて正確に使い分けるのでしょう。
一方明確に言えるのは、天壇公園の皇帝による祭祀に触れた記事では、五穀豊登が圧倒的に多く、次いで五穀豊収が使われます(10例確認した範囲では他は登場しません)。』投稿日時 - 2010-08-17 15:19:51(BIGLOBEなんでも相談室からyanhua回答)>




atelier246 at 19:53|PermalinkComments(0) 歴史探偵 
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